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うつ病エッセイ 17.回復へ向けて
 4月になって新しい薬がまたひとつ増えた。副作用はなく、なんだかいい調子。薬を飲み始めて数ヶ月、やっと薬が効いてきたのか、私は急に安定した日々を送れるようになった。
 そして、休養と睡眠、ちゃんと薬を飲んで、食事もとる。そんな毎日を繰り返して、日付は5月になった。

 まだ少し落ち着かないが、憂鬱や不安も少なく、気力も取り戻しつつある。
 今も、こうしてパソコンに向かい文章を書いているし、少しずつではあるが趣味を楽しみ、家事をする。そんな事が出来るようになってきた。
 数ヶ月前には考えられなかったようなことが出来るようになって、私は、自分自身で確実に回復に向かっていると確信できるようになってきている。
 まだ万全ではないが、長かったトンネルの出口が見えてきている。光が差し込んできたのだ。

 うつ病とは、本当に辛い病気だ。あんなに苦しくて辛い毎日を過ごしたことは今までない。何回もくじけそうになったし、消えて居なくなってしまいたい時が何度となくあった。
 でも、周囲の助けと病気に向き合い闘うことで、今こうして前を向けるようになってきている。まだ、たまに下を向いてしまうこともあるが、きっとあと少しで、上を向ける。青空をしっかりとみていける。そう思えるようになってきた。
 このまま病気に負けることなく、未来を楽しみに毎日を過ごせるよう、そんな日が一日も早くきてくれることを願って、これからも生き続けようと思えるようになった。
 これは、私にとっては凄い変化で、嬉しい変化。

 このまま近い未来には元の自分に戻れるよう、油断しないで病気と闘っていこう。そして、元の自分に戻れたら、私を助けてくれたたくさんの人たちに感謝の思いを伝えようと思う。

 私はこのエッセイが、少しでも同じうつ病で悩んでいる人の役に立てればと思う。そして、いままで周囲で私を支えてくれた家族と友人に心から感謝している。
 やはり、人は一人ではなく、支えあって生きていけるものなのかもしれない。

                                おわり
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うつ病エッセイ 16.気がつけば春
 通院をはじめ薬を飲み始めてから4ヶ月がたった。そして、いつもとかわらない日々を過ごしていた。
 そういえば、最近暖かい日が続いているな。今年は暖冬なんだ。そんなことを思って毎日を過ごしていた。

 休日、旦那が散歩に行こうと私をさそった。その日は気分もよく出かける気力もあったので、旦那の誘いにのって公園まで散歩にでかけることにした。
 ゆっくり歩いて公園まで向かう。日差しは暖か。風もやわらかかった。
 「今日はずいぶん、あったかいね。」
 そんな事を言いながら歩を進める。

 けっこうな道のりを歩いて息があがりはじめた頃、やっと目的の公園へたどり着いた。
 公園では、桜が満開。私は驚いた。
 暖冬でもなんでもなかった。日付はもう4月。春になっていたのだ。
 私は、憂鬱とダルさに悩まされる毎日で、いつもうつむいていた。出かけるときも下ばかり見ていた。周りを見ようとはしていなかったし、情報も受け付けていなかった。
 そうして私がうつ病と闘っているあいだに、世間は春になっていたのだ。

 「私が下ばかり見ている間に、季節は春になっていたんだな。」そんな事を思いながら、ベンチに腰をおろして、改めてあたりを見渡した。
 桜だけではない。チューリップやパンジーなど、色とりどりの花が花壇を埋め尽くしている。私は、いっきに春にタイムスリップしたような気分だった。
 そうか、月日はたっていたんだ。

 よくよく考えてみれば、1月頃に比べて、憂鬱な気分も少なくなってきているし、体を動かす気力も出てきている。
 私は出口のない洞穴にいたわけじゃない。ちゃんと出口のあるトンネルを通っていたんだ。
 一日一日ではわからなかったが、長期間で見てみれば、私は確実に回復へ向かって歩んでいる。
 そう思えた一日だった。
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うつ病エッセイ 15.ゆずれないこと
 やりたいことが思い浮かばない。そんな毎日を過ごしていたが、ゆずれないことがいくつかあった。
 ここを妥協してしまうと、うつ病に負けてしまったような気がするから。

 一つ目は、朝起きたら洋服に着替えること。
 これは健康な人からみれば普通のことだが、うつ病患者にとっては小さな問題だと思う。
 起きているのが億劫で辛いため、必然的に横になっている時間が長くなる。昼間もウダウダと横になっているため、はっきり言って一日中パジャマのほうが楽かもしれない。
 でも、それをしてしまうと凄く「病人」って感じがして嫌だった。「私は病人なんです。」って自分で認めてしまう感じがして本当に嫌だった。だから毎朝目が覚めたら洋服に着替える。そして、その後すぐ横になろうが布団に入ろうが、とりあえず昼間は洋服で過ごしている。

 二つ目は、アコースティックギター。
 うつ病になる前から趣味でギターを習っていた。今でも毎週金曜日にレッスンがあるので、頑張って出かけるしたくをして、必死でレッスンをうける。
 気力のない状態で、ギターの練習をして毎週レッスンに通うのは、けっこうキツかったがなんとか続けている。
 周囲の人たちは、「辛かったら休めばいいのに。」と言ってくれるが、病気に負けたくないという一心で休まずレッスンに参加し続けた。
 こんな状態でレッスンにいっても、授業内容があまり頭に入らない日などもあったが、私にとってはレッスンに参加することに意義があったのだ。

 三つ目は、カイロプラクティック。
 こちらもうつ病になる前から通っていた。
 私は職業がら、一日中パソコン作業をしていたので、毎日肩こりや偏頭痛に悩まされる日々で、とても辛い思いをしていた。そこで、数年前からカイロプラクティックに通っている。

 カイロプラクティックといってもピンとこないかもしれないが、私がやってもらうのは、整体とマッサージ。骨格矯正をして体をほぐしてもらう。
「今では仕事もやめたし、病気で出かけるのも辛いんだから、行かなくてもいいのに。」と思うかもしれないが、うつ病の症状として、肩こりや頭痛、背中の痛みなどが出ていたし、なにより頭と首の不快感が強く出ていた。何か詰まっているようなスッキリとしない感じですごく辛かった。それを改善してもらうのに施術をしてもらうのが一番だった。
 そして、たまたま担当の先生が、うつ病に詳しく、私の病状をよく理解してくれていたため、変に気を張ることもなく、安心して相談事や施術を受けることができた。また病状にあう施術を行ってくれたこと。これは凄くありがたことだった。

 私はうつ病に苦しめられてはいたが、この三つは自分の中で譲れないこととして決めていた。この三つまであきらめてしまったら、私はただの「重度なうつ病患者」として家にいるしかないと思ったのだ。
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うつ病エッセイ 14.薬の副作用
 病院に処方してもらった薬を飲み始めて3ヶ月位たった頃、また新しい薬が追加されることになった。私の気分もなかなか安定せず、目覚しい改善なども感じられなかったせいかもしれない。今まで飲んでいた薬に加えてこれで6種類。毎食後、忘れずに飲むようにしなければ。
 「この薬は副作用があるかもしれません。」お医者様にそういわれて、トレドミンという薬を飲み始めた。

 いままの薬でも、軽い眠気などの副作用はでていたので、今回もあまり深くは考えていなかった。副作用がでたとしても、ちょっとしたものだろうと思ってしまったのだ。
 だが、いざ薬を飲み始めると、頭がわれるような頭痛。目を開けているのさえ辛いほどだった。
 こんなに強い頭痛がくるなんて、油断した! それが私の感想だった。
 そして食欲不振。空腹感もあまり感じず、食事を前にしても食べる気がおきなかった。 この頃には、体重も3キロほど減り、体力の衰えも感じ始めていた。とにかく何か食べなければ。私は薬をのむことと生きることへの義務感で、むりやり食事を口に詰め込んでいた。
 辛い毎日がつづいたが、頭痛は数日で消えてなくなり、食欲不振だけがのこった。
 あとは徐々に体が薬になれていってくれるのを待つしかないかな。そんな心境だった。
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うつ病エッセイ 13.メールの支え
 うつ病になってから殆ど外出をしなくなった私は、他人との接触が極端に少なくなっていた。
 世間とのかかわりがない毎日を過ごしていると、孤独感が沸々と湧き上がってくる。話相手が欲しい時もあるのだが、友人は皆仕事や子育てに忙しいし、私自身出かけるのもままならない。
 テレビも付けない何も読まない孤立無援の生活は、私に孤独感と心細さを感じさせた。

 そんな時、友人からのメールが携帯にとどくと、ホッとする。
 メールが来るという事は、相手が自分のことを思い出してくれたという事だから、私はメールが好きだった。
「どうしてるかな?」と思ってメールをしてくれる。そのとき相手の心の中には自分が存在しているのだ。
 メールが来るということは、私はこの世に存在している証。
 文面はなんであれ、メールをくれるという、その行為がありがたく、とても嬉しい。

 私は、病気になってから、異常な孤独感と所在無さを感じていたが、それに効く薬は錠剤でも何でもなく、友人からのメールや電話が一番の特効薬だった。
 私はここにいる。消えてなくならなくても大丈夫。そう思える瞬間だったのだ。
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うつ病エッセイ 12.ビッグウェーブ
 気持ちは常にうつ状態だが、そんな中にも波がある。
 今日は「不安」も小さくて横になっていれば大丈夫と思う日もあれば、不安と憂鬱で落ち着かず、泣かずにはいられない日もある。
 何が影響しているかは自分でもわからない。気分の波はきままなのだ。

 発病して初期のころは、うつのビックウェーブが頻繁におとずれた。序所に落ち着かなくなり、じっとしていられない。先の事を考えて不安になったり、理由のない自責の念で、突然泣き始めたりする。手の振るえや頭痛・肩こりも症状として出ていた。
 そうなると、落ち着きを取り戻し涙がとまるまで、ひたすら耐えるしかなかった。 

 2週に一度の通院の際に、先生にビッグウェーブがくることを説明したら、気分を落ち着かせる頓服薬と、頭痛・肩こり対策のための筋肉弛緩薬を処方された。
 これで飲んでいる薬は全部で5種類。
 通院して経過報告をするたびに、処方される薬が増えていった。もともとうつ病の対所としては、はじめから大量の薬を処方するのではなく、体を慣らしながら少しずつ薬を増やしていくらしのだが、実際5種類の薬を渡されると気が重くなる。

 私は、いつくるかわからないビッグウェーブに怯えながら日々をすごし、出かける際も頓服薬をかばんに入れて、突然やってくる不安の波を乗り越えていくしかなかった。
 いま考えてもビッグウェーブは相当辛いものだったと思う。
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うつ病エッセイ 11.時間との格闘
 睡眠薬のおかげで、夜は眠れるようになったが、昼間は何もすることができず、ひたすら悶々とした時間を過ごすようになっていた。
 起きているが何もする気がおきない。食欲はないが薬を飲まなければならないため少量の食事をし、起きているのがダルいから昼寝をする。この時期の私の出来ることはそれだけだった。

 朝起きるのは遅めだったが、それでも一日の過ぎるのが何と長いことか。時計を見ては「30分経った」と思い悶々として落ち着かず、再び時計を見ては「1時間経った」と思う。そんなことの繰り返しで、就寝時間がくるまでがとにかく長くて辛い。
 楽しい事などなにもなく、考えることと言えば、憂鬱だとか辛いとか、消えてしまいたいとか、などなど。
 まだ1月で寒かったためブランケットにくるまり、一日中家の中で暖をとって悶々としていた。
 自分は今、社会の流れに何一つかかわっていない。私がいなくても世界は何の問題もなくまわり続けるだろう。私はこの時期はそんなことばかり考え、冬眠したい気持ちで一杯だった。

 毎日のように両親が食事のしたくや掃除をしに自宅に来てくれていたが、両親が自分のためにせっせと働く横で、ただソファにうずくまり悶々としていた。両親との会話もうまく出来ず、横になって時間がたつのをひたすら待つ。何があるわけではない。ただ一日が終わるのをひたすら待っているのだ。

 夕方になると両親は全ての支度をととのえ、実家に帰っていく。
 私は「ありがとう。」と言うことしか出来ず、両親が帰った後は何も出来ない自分を責めていた。
 その後は、旦那が深夜仕事から帰ってくるまで、一人で過ごす。この時間が一番辛い時間帯だったかもしれない。今日も何もできなかった。何も良くならなかった。そんな事ばかり考えている。夜になって外は暗くなり、つられて気分も落ち込んでくた。

 夜の11時頃になるとやっと今日一日が終わったという思いでほっとするのだが、今度は、また明日がやってくるのか、という思いで気が重くなる。明日もまた辛い時間を過ごさなければならないのか。この頃の私は、こんな事をひたすら考えて毎日時間と戦っていた。
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うつ病エッセイ 10.計画の変更
 会社を辞めて時間ができたら、やろうと思っていたことがいくつもあった。再就職へむけて新しい事を勉強してみたかったし、趣味にも時間を費やしたかった。一番してみたかったのは、一人旅。
 私はこれまで、一人旅というものをしたことがなかったので、会社を辞めて時間ができたら、一週間くらいのロングステイで旅行がしてみたかったのだ。
 実際に旅行パンフレットも集め、行き先も考えていた。沖縄の民宿でのんびり海を眺めていたい。そんな希望で民宿などもピックアップしていた。

 だが、実際会社を辞める頃には、うつ病が悪化していて旅行などいける状態ではなく、パンフレットを開く気力すらわかなくなっていた。旅行の計画など全く考えられない。気力的にも体的にも病気が治るまで旅行は延期するほかなかった。

 また、新しい職種で再就職をしようと思っていたことも難しくなった。
 学校に通って勉強をして、その分野で就職したいと思っていたが、考えるのが億劫なほど思考能力の低下した今では、就職はもちろんのこと勉強などとても出来る状態ではない。
 何事にも興味が持てないため、どんな職種にして何の勉強が必要かなど、調べることさえ出来なかった。仕事など、とてもじゃないが出来る自信がなくなっていた。

 そして、いままで仕事でなかなか時間が作れずに手付かずのままになっていた趣味全般。
 意欲低下が病状として出てしまうため、好きだった事までする気が起きないのだ。
 仕事をしている時は、早く仕事を終わらせて趣味をしたいと思っていたのに、時間がありあまっている今は、うつ病のせいで趣味にいそしむなんて考えられない状態になった。

 病気になってしまったせいで、やってみたかったと思っていたことが何一つ出来ない。時間だけがありあまってしまったのだ。
 テレビなどから流れてくる情報も鬱陶しく感じるためテレビはつけない。ひどいときは音楽さえうるさく感じる。活字は読む気にならないから大好きな漫画さえ読まなくなった。

 何もできないのに、時間だけがある。その無駄にある時間をひたすら憂鬱の辛さと戦いながら過ごさざるを得ないのだ。こんな辛い毎日になるなんて思ってもみなかった。
 私の楽しみにしていたはずの計画は、楽しみとは感じなくなり、全ては先延ばしとなったのだった。
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うつ病エッセイ 9.そして実家へ
 薬局を出て昼食を食べた後、一旦自宅にもどり、姉の車で実家にむかった。今日の診断結果を両親に報告するためだ。
 私は、すでに疲れが出始めていて起きているのも億劫だった。移動の車中で多少の休憩をとって数十分後、車が実家に到着した。
 両親は、私が起きているのが億劫な事を姉から電話で聞かされていたので、横になって休めるよう、ソファに枕を用意して待っていてくれた。

 私は、両親に挨拶をしてからすぐにソファに横になった。とても両親二人を相手に話す気力などなく、体も重かった。
 母がお茶をいれてソファのあるリビングに運んできた。父は話がはじまるまで落ち着かない様子。所在無げにウロウロしていた。
 姉が病院でもらってきた冊子を見せながら、私の症状とうつ病という病気に関する説明をし始めた。病院で先生が言っていたことを一言一句もらさずに説明している。さすがは看護士。的確でわかりやすい説明だった。

 私はソファで横になりながら、説明する姉と、前のめりになって話を聞く両親をぼんやり眺めていた。すると、私の症状を聞きながら母が涙を流しはじめた。なんで泣いているのか。かわいそうと思ったのか、心配なのか、驚いたのか。ただ、私が原因で泣いていることは確かだ。そんな母を見て、申し訳ない気持ちと迷惑をかけてしまっている事で自責の念がでてきて涙が出た。ただここで私が泣くと余計に心配をかけるのではないかと思い、なるだけ涙をこらえる。

 一通りの説明を聞き終え、両親はいろいろな質問をしてきた。私はあれこれ質問されると、攻められているような気持ちになり、考えもまとまらず話がうまく出来なくなってしまうので、代わりに姉が受け答えをしてくれていた。
 うつ病とはやっかいな病気で、見た目では心身の不調がわからないため、周りが患者にどう接すればいいのかわからないようだ。
 私は辛いことを辛いと、出来ない事を出来ないと伝えるしかなかった。すでに家事もままならない私の状況を知った両親は、今後のことを姉と相談していた。
 私はそんな三人をみて、再び迷惑をかけている自分を責める思いで一杯になった。

 話し合いの結果、日常生活で支障をきたすことなどを両親が手伝ってくれることになった。その時の私は集中力がなく、複数のモノゴトを同時にこなすことが困難な状態になっていたため、食事の支度などができなかった。細かい作業や複数のおかずを同時進行で準備しなければないらい調理は、がんばっても最後までできないのだ。作業も旨くいかず、途中で気分が悪くなる。
 とりあえず、食事の準備を手伝いに両親が私の自宅へ通ってきてくれることになり、その日の話は終わった。
 会社を辞めたこと、日常生活に支障がでてきていること、今何かに取り組む気力がないことなど、今まで一人で悩んできたことを一番身近な家族に相談できたことで、今までの緊張が少しほぐれ、ほっとしていた。

 会話や思考ができない状況の中で、ここまで周囲の理解を得るのはとても大変なことだったが、幸いにも姉の協力でスムーズに話を進めることがで、姉には本当に感謝している。 
 そうして、長く感じられた一日がやっと終わった。
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うつ病エッセイ 8.病 院
 2007年の年が明けて正月になった。私にとってはめでたくもなんともない正月。体調不良と喪中だったことも相まって、旦那の実家にすら顔をださなかった。
 テレビでは、どの局でも正月の特番ばかりしていたが、私はそんな気分にもなれず、興味もわかず、いつもと変わらない鬱々とした日々を過ごしていた。

 数日後、姉から病院の予約がとれたとの連絡があった。私は精神科とか心療内科というような場所にはお世話になったことがない。何を聞かれるんだろう。何か心理テストみたいなことをさせられるのだろうか。不安ばかりが大きくなっていく。
 姉は心配ないよ、と言ってくれるが、こんな気分のうえ、行ったことのない場所に行き、しらない先生に鬱々とした状況を話さなければならないのかもしれない。不安を感じずにはいられなかった。
 そんな状況のなか、いよいよ病院に行く当日。昼前に姉が車で自宅まできてくれ、そこから歩いて病院へ向かった。

 緊張しながら病院の扉を開ける。思っていたほど院内は暗くなく、明るくさわやかなイメージ。混雑をしていたが、嫌な感じはしなかった。
 スリッパに履き替えて受付へ向かう。初診ということで問診表を渡された。体がダルいうえに、手に震えがでていた私は、問診表の記入欄の多さに辟易したが、書かないわけにはいかない。しょうがなく氏名の欄から記入をし始めた。
 問診表には、氏名・住所から始まって、自分の性格や最近の気になる症状、家族構成まで書く欄があった。
 問診表と格闘すること十数分。やっとの思いで記入欄をすべて書き終え、受け付けに提出した。やはり内科や外科などとは違うなという感想。
 この日は、患者さんが多く、かなり込んでいたため、診察までに1時間近く待たされた。体がダルく、肩も背中も痛みがでてきたが、辛抱して待つしかない。
 やっとの事で名前が呼ばれた。私は緊張して冷や汗をかきながら案内された診察室へ入った。姉と二人で進められた椅子へ座る。

 診察室は想像と違っていた。先生は白衣をきてなく私服で、個室のオフィスのような空間になっていた。
 さっそく診察がはじまる。
 うまく考えがまとまらず説明できない私に代わり、姉が一生懸命いままでの経過を説明してくれていた。先生は姉の説明を聞きながら問診表をみて開口一言。
「うつ病ですね。」
 やっぱりそうですか。覚悟はしていたがやっぱりショック。私は病気なんだ。
 念のためにうつ病のチェックをするため、小さな用紙を渡され記入するよう言われた。
 用紙には、十数個の質問とチェック方式の記入欄。質問は、「つねに憂鬱な気分である」「よく眠れない」「食欲がない」「自殺したいと思ったことがある」などなど、全部は覚えていないが、そんな感じだった。それらの項目に対して、「いつも」「しばしば」「ときどき」「ない」の4段階方式であてはまる答えにチェックをいれていく。すべての項目を記入しおえると、それを点数に換算して、うつ病の重傷度を割り出すというものだった。
 先生が各項目の答えに対し数字を書き込み、合計点を出していく。結果はあっけなく伝えられた。
「重度のうつ病ですね。」
 重度!? ショック大。うつ病とはなんとなく周りの反応からして覚悟はしていたが、まさか重度と言われるとは思っていなかった。
「せめてもの救いは、自殺願望がないことですね。」と先生。
 私は自殺願望の項目は「ない」にチェックを入れていた。あまりの辛さと孤独感から消えてしまいたい、いなくなりたいとは思ったことはあったが、自殺を考えたことはなかったからだ。

 その後、うつ病という病気に関して、とても丁寧な説明があり、ストレスでなる人もいるが、原因がないのにうつ病になる人もいるから、原因追求はしなくて大丈夫と言われた。
 原因がわからなくても重度のうつ病になるんだ。私の頭は「重度」と言われた事がショックで頭の中が一杯となり、テキパキとした口調で、病気の説明を続ける先生の話についていけずにいた。
 そのうえ、「今まで、辛かったね。大変だったでしょ。」という先生の一言で、涙が溢れてきて、とても話を理解して聞く状況ではなくなってしまった。
 説明に対し疑問に思った点は、つねに姉が先陣を切って質問をしてくれている。ここでも私は殆どの対応を姉にまかせ、溢れてくる涙を抑えるので必死だった。

 先生の話によると、うつ病の治療法は薬物療法によるものが主で、あとは無理せず、しっかりとした休養をとって決められた薬をかならず飲むようにする。頑張りすぎるのはダメとの事だった。やる気とか気持ちの問題ではなく、脳内に分泌される成分のバランスがくずれてなる病気なので、頑張っても意味がないとのことだった。
 先生はほかにも色々な話をしてくれていたが、細かい内容云々より、自分の目に見えない不調をはっきりと説明してくれることがうれしくて、どこかほっとした部分があり、安心する部分もあった。

 薬の効果がでるのは3ヶ月くらいかかるという事だった。効果がでるまでに時間がかかるので、忘れずに薬を飲むようにしなければならない。今でさえ辛いのに、すくなくともあと3ヶ月は我慢しなければならないのかと思う気持ちもあったが、とりあえず改善する方法がわかった事がよかったように思えた。
 私たちは、うつ病のことをわかりやすく説明している冊子をうけとり、診察室を後にした。思っていたような面倒なテストも嫌な質問もなく診察が終わり、ほっとした。
 病院で処方箋をもらって薬局へ行く。出された薬は3種類。気持ちを楽にする薬と不安を和らげる薬。それと睡眠薬。
 今日からは毎日これを飲まなければならない。でも少なくとも眠れるようにはなるだろう。今の自分にとっては、眠れるようになることだけでも嬉しい事だった。
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