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うつ病・ため息がふえた
うつ病は、気分の落ち込みが正常な範囲を超えてしまう病気だそうです。
私も、説明のつかない、不安・孤独感・身体のだるさなどから、かなりため息が増えました。いま考えると、ため息もうつ病の予兆だったんだと思います。
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うつ病・焦ってイライラする
全く動けなくなってしまう症状とは別に、身体のことや将来について不安を感じて、気持ちが焦ってしまったり、イライラしてしまうことがあります。
私の場合は、身体の不調の不安や孤独感などで、訳もなく落ち着かずにウロウロしてしまったりしました。
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うつ病・情報が頭に入らない
うつ病になると、細かい活字の本やニュース番組など、複雑な情報には対応しきれなくなるそうです。私の場合も、思考をするのが難しくなり、ニュース番組などを見ても頭に入ってきませんでした。
また、テレビなどを見ていても感情移入することが少なくなり、なんとなく見ているだけという感じになりました。
頭の中に1枚幕が張ってしまったような感覚でした。
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うつ病・動くのが億劫になった
うつ病になると、日常生活の何気ないことや簡単なことでも、体を動かすのが億劫になります。
私の場合は、仕事はもちろんのこと、家事ができなくなりました。
「やらないとな」とは思うんですが、体が動かないんです。気力がうせて集中力もおちていたように思います。
普段なら気分転換と思える外出や趣味にたいしても、億劫でする気がおきませんでした。
ほとんど横になって過ごしていました。
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日記-4/30 やってよかった!
私のブログにコメントを書いてくれた人がいました。
このブログが、少しでも人の役にやってくれれば嬉しいと思って立ち上げたので、感想をもらえたことが、とっても嬉しかった!!
まだ体調は万全ではないけれど、なるべくこまめに更新をして続けていきたいと改めて思いました。
悩んでいるのは私だけじゃないし、あなただけではないのだ!
| comments(0) | - | カーミの日記 |
うつ病エッセイ 10.計画の変更
 会社を辞めて時間ができたら、やろうと思っていたことがいくつもあった。再就職へむけて新しい事を勉強してみたかったし、趣味にも時間を費やしたかった。一番してみたかったのは、一人旅。
 私はこれまで、一人旅というものをしたことがなかったので、会社を辞めて時間ができたら、一週間くらいのロングステイで旅行がしてみたかったのだ。
 実際に旅行パンフレットも集め、行き先も考えていた。沖縄の民宿でのんびり海を眺めていたい。そんな希望で民宿などもピックアップしていた。

 だが、実際会社を辞める頃には、うつ病が悪化していて旅行などいける状態ではなく、パンフレットを開く気力すらわかなくなっていた。旅行の計画など全く考えられない。気力的にも体的にも病気が治るまで旅行は延期するほかなかった。

 また、新しい職種で再就職をしようと思っていたことも難しくなった。
 学校に通って勉強をして、その分野で就職したいと思っていたが、考えるのが億劫なほど思考能力の低下した今では、就職はもちろんのこと勉強などとても出来る状態ではない。
 何事にも興味が持てないため、どんな職種にして何の勉強が必要かなど、調べることさえ出来なかった。仕事など、とてもじゃないが出来る自信がなくなっていた。

 そして、いままで仕事でなかなか時間が作れずに手付かずのままになっていた趣味全般。
 意欲低下が病状として出てしまうため、好きだった事までする気が起きないのだ。
 仕事をしている時は、早く仕事を終わらせて趣味をしたいと思っていたのに、時間がありあまっている今は、うつ病のせいで趣味にいそしむなんて考えられない状態になった。

 病気になってしまったせいで、やってみたかったと思っていたことが何一つ出来ない。時間だけがありあまってしまったのだ。
 テレビなどから流れてくる情報も鬱陶しく感じるためテレビはつけない。ひどいときは音楽さえうるさく感じる。活字は読む気にならないから大好きな漫画さえ読まなくなった。

 何もできないのに、時間だけがある。その無駄にある時間をひたすら憂鬱の辛さと戦いながら過ごさざるを得ないのだ。こんな辛い毎日になるなんて思ってもみなかった。
 私の楽しみにしていたはずの計画は、楽しみとは感じなくなり、全ては先延ばしとなったのだった。
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うつ病エッセイ 9.そして実家へ
 薬局を出て昼食を食べた後、一旦自宅にもどり、姉の車で実家にむかった。今日の診断結果を両親に報告するためだ。
 私は、すでに疲れが出始めていて起きているのも億劫だった。移動の車中で多少の休憩をとって数十分後、車が実家に到着した。
 両親は、私が起きているのが億劫な事を姉から電話で聞かされていたので、横になって休めるよう、ソファに枕を用意して待っていてくれた。

 私は、両親に挨拶をしてからすぐにソファに横になった。とても両親二人を相手に話す気力などなく、体も重かった。
 母がお茶をいれてソファのあるリビングに運んできた。父は話がはじまるまで落ち着かない様子。所在無げにウロウロしていた。
 姉が病院でもらってきた冊子を見せながら、私の症状とうつ病という病気に関する説明をし始めた。病院で先生が言っていたことを一言一句もらさずに説明している。さすがは看護士。的確でわかりやすい説明だった。

 私はソファで横になりながら、説明する姉と、前のめりになって話を聞く両親をぼんやり眺めていた。すると、私の症状を聞きながら母が涙を流しはじめた。なんで泣いているのか。かわいそうと思ったのか、心配なのか、驚いたのか。ただ、私が原因で泣いていることは確かだ。そんな母を見て、申し訳ない気持ちと迷惑をかけてしまっている事で自責の念がでてきて涙が出た。ただここで私が泣くと余計に心配をかけるのではないかと思い、なるだけ涙をこらえる。

 一通りの説明を聞き終え、両親はいろいろな質問をしてきた。私はあれこれ質問されると、攻められているような気持ちになり、考えもまとまらず話がうまく出来なくなってしまうので、代わりに姉が受け答えをしてくれていた。
 うつ病とはやっかいな病気で、見た目では心身の不調がわからないため、周りが患者にどう接すればいいのかわからないようだ。
 私は辛いことを辛いと、出来ない事を出来ないと伝えるしかなかった。すでに家事もままならない私の状況を知った両親は、今後のことを姉と相談していた。
 私はそんな三人をみて、再び迷惑をかけている自分を責める思いで一杯になった。

 話し合いの結果、日常生活で支障をきたすことなどを両親が手伝ってくれることになった。その時の私は集中力がなく、複数のモノゴトを同時にこなすことが困難な状態になっていたため、食事の支度などができなかった。細かい作業や複数のおかずを同時進行で準備しなければないらい調理は、がんばっても最後までできないのだ。作業も旨くいかず、途中で気分が悪くなる。
 とりあえず、食事の準備を手伝いに両親が私の自宅へ通ってきてくれることになり、その日の話は終わった。
 会社を辞めたこと、日常生活に支障がでてきていること、今何かに取り組む気力がないことなど、今まで一人で悩んできたことを一番身近な家族に相談できたことで、今までの緊張が少しほぐれ、ほっとしていた。

 会話や思考ができない状況の中で、ここまで周囲の理解を得るのはとても大変なことだったが、幸いにも姉の協力でスムーズに話を進めることがで、姉には本当に感謝している。 
 そうして、長く感じられた一日がやっと終わった。
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うつ病エッセイ 8.病 院
 2007年の年が明けて正月になった。私にとってはめでたくもなんともない正月。体調不良と喪中だったことも相まって、旦那の実家にすら顔をださなかった。
 テレビでは、どの局でも正月の特番ばかりしていたが、私はそんな気分にもなれず、興味もわかず、いつもと変わらない鬱々とした日々を過ごしていた。

 数日後、姉から病院の予約がとれたとの連絡があった。私は精神科とか心療内科というような場所にはお世話になったことがない。何を聞かれるんだろう。何か心理テストみたいなことをさせられるのだろうか。不安ばかりが大きくなっていく。
 姉は心配ないよ、と言ってくれるが、こんな気分のうえ、行ったことのない場所に行き、しらない先生に鬱々とした状況を話さなければならないのかもしれない。不安を感じずにはいられなかった。
 そんな状況のなか、いよいよ病院に行く当日。昼前に姉が車で自宅まできてくれ、そこから歩いて病院へ向かった。

 緊張しながら病院の扉を開ける。思っていたほど院内は暗くなく、明るくさわやかなイメージ。混雑をしていたが、嫌な感じはしなかった。
 スリッパに履き替えて受付へ向かう。初診ということで問診表を渡された。体がダルいうえに、手に震えがでていた私は、問診表の記入欄の多さに辟易したが、書かないわけにはいかない。しょうがなく氏名の欄から記入をし始めた。
 問診表には、氏名・住所から始まって、自分の性格や最近の気になる症状、家族構成まで書く欄があった。
 問診表と格闘すること十数分。やっとの思いで記入欄をすべて書き終え、受け付けに提出した。やはり内科や外科などとは違うなという感想。
 この日は、患者さんが多く、かなり込んでいたため、診察までに1時間近く待たされた。体がダルく、肩も背中も痛みがでてきたが、辛抱して待つしかない。
 やっとの事で名前が呼ばれた。私は緊張して冷や汗をかきながら案内された診察室へ入った。姉と二人で進められた椅子へ座る。

 診察室は想像と違っていた。先生は白衣をきてなく私服で、個室のオフィスのような空間になっていた。
 さっそく診察がはじまる。
 うまく考えがまとまらず説明できない私に代わり、姉が一生懸命いままでの経過を説明してくれていた。先生は姉の説明を聞きながら問診表をみて開口一言。
「うつ病ですね。」
 やっぱりそうですか。覚悟はしていたがやっぱりショック。私は病気なんだ。
 念のためにうつ病のチェックをするため、小さな用紙を渡され記入するよう言われた。
 用紙には、十数個の質問とチェック方式の記入欄。質問は、「つねに憂鬱な気分である」「よく眠れない」「食欲がない」「自殺したいと思ったことがある」などなど、全部は覚えていないが、そんな感じだった。それらの項目に対して、「いつも」「しばしば」「ときどき」「ない」の4段階方式であてはまる答えにチェックをいれていく。すべての項目を記入しおえると、それを点数に換算して、うつ病の重傷度を割り出すというものだった。
 先生が各項目の答えに対し数字を書き込み、合計点を出していく。結果はあっけなく伝えられた。
「重度のうつ病ですね。」
 重度!? ショック大。うつ病とはなんとなく周りの反応からして覚悟はしていたが、まさか重度と言われるとは思っていなかった。
「せめてもの救いは、自殺願望がないことですね。」と先生。
 私は自殺願望の項目は「ない」にチェックを入れていた。あまりの辛さと孤独感から消えてしまいたい、いなくなりたいとは思ったことはあったが、自殺を考えたことはなかったからだ。

 その後、うつ病という病気に関して、とても丁寧な説明があり、ストレスでなる人もいるが、原因がないのにうつ病になる人もいるから、原因追求はしなくて大丈夫と言われた。
 原因がわからなくても重度のうつ病になるんだ。私の頭は「重度」と言われた事がショックで頭の中が一杯となり、テキパキとした口調で、病気の説明を続ける先生の話についていけずにいた。
 そのうえ、「今まで、辛かったね。大変だったでしょ。」という先生の一言で、涙が溢れてきて、とても話を理解して聞く状況ではなくなってしまった。
 説明に対し疑問に思った点は、つねに姉が先陣を切って質問をしてくれている。ここでも私は殆どの対応を姉にまかせ、溢れてくる涙を抑えるので必死だった。

 先生の話によると、うつ病の治療法は薬物療法によるものが主で、あとは無理せず、しっかりとした休養をとって決められた薬をかならず飲むようにする。頑張りすぎるのはダメとの事だった。やる気とか気持ちの問題ではなく、脳内に分泌される成分のバランスがくずれてなる病気なので、頑張っても意味がないとのことだった。
 先生はほかにも色々な話をしてくれていたが、細かい内容云々より、自分の目に見えない不調をはっきりと説明してくれることがうれしくて、どこかほっとした部分があり、安心する部分もあった。

 薬の効果がでるのは3ヶ月くらいかかるという事だった。効果がでるまでに時間がかかるので、忘れずに薬を飲むようにしなければならない。今でさえ辛いのに、すくなくともあと3ヶ月は我慢しなければならないのかと思う気持ちもあったが、とりあえず改善する方法がわかった事がよかったように思えた。
 私たちは、うつ病のことをわかりやすく説明している冊子をうけとり、診察室を後にした。思っていたような面倒なテストも嫌な質問もなく診察が終わり、ほっとした。
 病院で処方箋をもらって薬局へ行く。出された薬は3種類。気持ちを楽にする薬と不安を和らげる薬。それと睡眠薬。
 今日からは毎日これを飲まなければならない。でも少なくとも眠れるようにはなるだろう。今の自分にとっては、眠れるようになることだけでも嬉しい事だった。
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うつ病エッセイ 7.相談する
 姉からはすぐに返信メールが送られてきた。特に変な相談だと思われた様子もなく、何度かメールのやりとりをする事ができた。これで、自分の今の状態を伝えることができた。ほっとしながらも、少し不安。あとは姉の判断を待つだけだった。

 姉から帰ってきた返答は、もしかしたらうつ病じゃないかというもの。
 やっぱりそうなのか。そうかもしれないと思っていた反面、病気であってほしくないと思う気持ちもあったので、ため息が出る。病気ならどうすればいいのだろう。
 姉は一度会って話しをしてみようとメールをくれた。
 私はすがる思いで返事を送り、姉と会う約束をした。もう年も明けようかという年末のことだった。

 12月30日。動かない身体に鞭打って、なんとか姉との待ち合わせ場所へ向かった。
 少し時間に遅れてきた姉と一緒にイタリアンレストランに入り席につく。とりあえずメニューをオーダーして、事のなりゆきを話し始めた。
 今まで一人で溜め込んできた思いを始めて人に話す。話しているうちに、憂鬱と辛さ、それから逃れたい思い、助けてほしい気持ちがぐちゃぐちゃになって込み上げてきて涙がこぼれた。

 姉は一言一句をのがさないように、丁寧に話をきいてくれていた。問診のような会話が終わったあと姉の下した診断は、やはりうつ病ではないかと言うこと。一度病院に行ってカウンセリングをしてもらったほうが良いのではないかという事だった。
 それを聞いてまた涙が溢れてくる。もう何で泣けてくるのか自分ではよくわからなかったが、姉に話が出来たこと。それだけで胸が一杯だったのかもしれない。ようやく理解者ができたのだ。一人でもがき苦しむ状況から脱することが出来た。今思うと、それだけで泣けてきたのかもしれなかった。

 そこまで話がすんでから、レストランを出て姉の自宅に向かった。そこで少し休ませてもらいながら今後のことを相談した。
 姉はインターネットでカウンセリングをしてもらえそうな病院を探し、よさそうな病院をピックアップしてくれている。すでにインターネットで調べ物をする気力すらなくなっていた私は、すべてを姉にお願いして、画面を見ながら説明をしてくれる姉の話を聞いていた。

 病院に行くとしても年始になりそうだった。姉はその前に両親にこの事をちゃんと伝えたほうがいいと言い、姉から実家に電話をして話しておいてくれるとのだった。私はありがたくその提案にのり、すべてを姉にお願いすることにした。
 両親はどんな反応をするだろう。驚かれたりしないだろうか。理解してもらえるだろうか。そんな不安が渦巻くが、自分には何をすることもできず、姉にゆだねるしかなかった。

 私が、旦那へ病院にいくことを決めた事を旨く説明する自信がないというと、姉が「わたしから説明しようか。」言ってくれた。その申し出にありがたく賛同することにして自宅に向かうこととなった。
 姉の作ってくれたハンバーグを食べて夕食をすませてから車で自宅に向かう。
 旦那はどんな反応をするだろう。どうか、病院に行くことを反対されませんように。迷惑がられませんように。私は車の助手席でうつむきながら、そう願っていた。
 車は高速を通り、無事自宅に到着した。

 どんな顔で旦那に会えばいいのかわからずに玄関を入る。リビングにいた旦那と顔を合わせた瞬間、苦笑いをした。
 私は何から話せばいいか迷いながら、しどろもどろ今日姉と話しあった内容を説明しはじめた。でもやはり旨くすべてを伝えることができない。緊張で手が震えていた。すると、私の不安な胸中を察したのか、姉が代わって今の状況を説明してくれた。私と旦那を不安にさせないよう、いたって明るい口調で、特別なことではないんだよ、というように話をしてくれる。
「わたしが、思うに心の状態や体にでている症状を見る限りうつ病っぽいから、一度病院にいったほうがいいと思うの。」
 姉がそう言うと、旦那は最近の私をみて少しは異常を感じ取っていたのだろう。私が思っていたほど驚きもせず、「そうですか。」と返事をしてニヤッと笑った。
 私も旦那と視線があい、また苦笑い。迷惑かけて申し訳ないという気持ちと、どうか理解してくれますように、との思いしかなかった。
 年始までに病院を探しておくよ、と言い残し姉は家路についた。
 その後、旦那は深く事情を詮索することもなく、疲れただろうからゆっくり休みな。といって普通に接してくれていた。

 この何ヶ月間か一人で悩み続けた日が終わった。とりあえず、姉と旦那の理解を得て、ひとりぼっちではなくなったのだ。憂鬱な気分が消えるわけではなかったが、なんだか少しほっとした。
 あとは姉から両親に事の次第が伝えられ、いったいどんな反応が返ってくるのかということ。ほっとしたのもつかの間、再び不安が心の中に渦巻き始めた。
 後日、姉ともう一度連絡をとり、両親の反応を聞いた。心配していたけど、理解が出来ないという感じではなかった。病院の診断結果がでたら、もう一度連絡をすることになっている、ということだった。
 とりあえずよかった。変な風には受け取られていないと聞き安心した。
 年始になったら病院に予約をして診察をしてもらうことにして、姉が付き添いとして一緒に行ってくれる事になった。
 何から何まで任せきりになってしまったが、出口の見えない状況から助け出してくれた姉に感謝するばかりだった。
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うつ病エッセイ 6.勇気をだして
 この頃に、やっと会社を辞め、自宅でゆっくりと過ごせるようになった。
 ただ、自宅にいても考えることは憂鬱なことばかり。どうすれば良くなるのか考えるばかりだった。

 どれくらいの期間こんな状態だっただろう。誰かに相談できないだろうか、助けてもらえないだろうか。もう一人で抱え込んでいるのは気持ちが張り裂けそうなほど辛かった。
 私は、考えあぐねたすえ、看護士をしている姉に相談してみるのが、一番話しやすいかも、という考えにいたった。医療行為に携わっているし、一番理解してもらいやすいのではないかと思ったのだ。
 よし、姉に打ち明けてみよう。かなりの期間をかけて、やっと相談相手を決めることができた。

 決まったのは良しとして、今度はどうやって打ち明けようかと悩み始める。何かほかの理由をこじつけて姉に会ってから話をきりだそうか。それともストレートに身体の不調を伝えようか、などなど。

 そこまで考えていても、姉に伝えるのは少し怖かった。何でそうなったか聞かれるのが怖かったし、気のせいだといわれるのが怖かった。
 どうしよう。どうやって伝えるのが、一番の方法なのか。
 考えに考え、私はメールで今の状況を簡単に伝えてみることにした。メールなら、とりあえず私の伝えたいことだけを伝えられるし、質問攻めになることもないだろうと思ったからだ。

 私は、この時まで、会社を辞めたことを旦那以外の家族には伝えていなかった。何で辞めたのかを聞かれるのも億劫だったし、余計な心配をかけるのではないかと思ったからだ。なので、姉へのメールは、まずは会社を辞めたことから切り出すことにした。そして心と体の不調について、今まで自分で感じたことを書き込んだ。
 あとは送信ボタンを押すだけ。どうか、変な相談だとか、迷惑だとか思われませんように。そう願いながら、勇気をだして送信ボタンを押した。
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