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うつ病エッセイ 7.相談する
 姉からはすぐに返信メールが送られてきた。特に変な相談だと思われた様子もなく、何度かメールのやりとりをする事ができた。これで、自分の今の状態を伝えることができた。ほっとしながらも、少し不安。あとは姉の判断を待つだけだった。

 姉から帰ってきた返答は、もしかしたらうつ病じゃないかというもの。
 やっぱりそうなのか。そうかもしれないと思っていた反面、病気であってほしくないと思う気持ちもあったので、ため息が出る。病気ならどうすればいいのだろう。
 姉は一度会って話しをしてみようとメールをくれた。
 私はすがる思いで返事を送り、姉と会う約束をした。もう年も明けようかという年末のことだった。

 12月30日。動かない身体に鞭打って、なんとか姉との待ち合わせ場所へ向かった。
 少し時間に遅れてきた姉と一緒にイタリアンレストランに入り席につく。とりあえずメニューをオーダーして、事のなりゆきを話し始めた。
 今まで一人で溜め込んできた思いを始めて人に話す。話しているうちに、憂鬱と辛さ、それから逃れたい思い、助けてほしい気持ちがぐちゃぐちゃになって込み上げてきて涙がこぼれた。

 姉は一言一句をのがさないように、丁寧に話をきいてくれていた。問診のような会話が終わったあと姉の下した診断は、やはりうつ病ではないかと言うこと。一度病院に行ってカウンセリングをしてもらったほうが良いのではないかという事だった。
 それを聞いてまた涙が溢れてくる。もう何で泣けてくるのか自分ではよくわからなかったが、姉に話が出来たこと。それだけで胸が一杯だったのかもしれない。ようやく理解者ができたのだ。一人でもがき苦しむ状況から脱することが出来た。今思うと、それだけで泣けてきたのかもしれなかった。

 そこまで話がすんでから、レストランを出て姉の自宅に向かった。そこで少し休ませてもらいながら今後のことを相談した。
 姉はインターネットでカウンセリングをしてもらえそうな病院を探し、よさそうな病院をピックアップしてくれている。すでにインターネットで調べ物をする気力すらなくなっていた私は、すべてを姉にお願いして、画面を見ながら説明をしてくれる姉の話を聞いていた。

 病院に行くとしても年始になりそうだった。姉はその前に両親にこの事をちゃんと伝えたほうがいいと言い、姉から実家に電話をして話しておいてくれるとのだった。私はありがたくその提案にのり、すべてを姉にお願いすることにした。
 両親はどんな反応をするだろう。驚かれたりしないだろうか。理解してもらえるだろうか。そんな不安が渦巻くが、自分には何をすることもできず、姉にゆだねるしかなかった。

 私が、旦那へ病院にいくことを決めた事を旨く説明する自信がないというと、姉が「わたしから説明しようか。」言ってくれた。その申し出にありがたく賛同することにして自宅に向かうこととなった。
 姉の作ってくれたハンバーグを食べて夕食をすませてから車で自宅に向かう。
 旦那はどんな反応をするだろう。どうか、病院に行くことを反対されませんように。迷惑がられませんように。私は車の助手席でうつむきながら、そう願っていた。
 車は高速を通り、無事自宅に到着した。

 どんな顔で旦那に会えばいいのかわからずに玄関を入る。リビングにいた旦那と顔を合わせた瞬間、苦笑いをした。
 私は何から話せばいいか迷いながら、しどろもどろ今日姉と話しあった内容を説明しはじめた。でもやはり旨くすべてを伝えることができない。緊張で手が震えていた。すると、私の不安な胸中を察したのか、姉が代わって今の状況を説明してくれた。私と旦那を不安にさせないよう、いたって明るい口調で、特別なことではないんだよ、というように話をしてくれる。
「わたしが、思うに心の状態や体にでている症状を見る限りうつ病っぽいから、一度病院にいったほうがいいと思うの。」
 姉がそう言うと、旦那は最近の私をみて少しは異常を感じ取っていたのだろう。私が思っていたほど驚きもせず、「そうですか。」と返事をしてニヤッと笑った。
 私も旦那と視線があい、また苦笑い。迷惑かけて申し訳ないという気持ちと、どうか理解してくれますように、との思いしかなかった。
 年始までに病院を探しておくよ、と言い残し姉は家路についた。
 その後、旦那は深く事情を詮索することもなく、疲れただろうからゆっくり休みな。といって普通に接してくれていた。

 この何ヶ月間か一人で悩み続けた日が終わった。とりあえず、姉と旦那の理解を得て、ひとりぼっちではなくなったのだ。憂鬱な気分が消えるわけではなかったが、なんだか少しほっとした。
 あとは姉から両親に事の次第が伝えられ、いったいどんな反応が返ってくるのかということ。ほっとしたのもつかの間、再び不安が心の中に渦巻き始めた。
 後日、姉ともう一度連絡をとり、両親の反応を聞いた。心配していたけど、理解が出来ないという感じではなかった。病院の診断結果がでたら、もう一度連絡をすることになっている、ということだった。
 とりあえずよかった。変な風には受け取られていないと聞き安心した。
 年始になったら病院に予約をして診察をしてもらうことにして、姉が付き添いとして一緒に行ってくれる事になった。
 何から何まで任せきりになってしまったが、出口の見えない状況から助け出してくれた姉に感謝するばかりだった。
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うつ病エッセイ 6.勇気をだして
 この頃に、やっと会社を辞め、自宅でゆっくりと過ごせるようになった。
 ただ、自宅にいても考えることは憂鬱なことばかり。どうすれば良くなるのか考えるばかりだった。

 どれくらいの期間こんな状態だっただろう。誰かに相談できないだろうか、助けてもらえないだろうか。もう一人で抱え込んでいるのは気持ちが張り裂けそうなほど辛かった。
 私は、考えあぐねたすえ、看護士をしている姉に相談してみるのが、一番話しやすいかも、という考えにいたった。医療行為に携わっているし、一番理解してもらいやすいのではないかと思ったのだ。
 よし、姉に打ち明けてみよう。かなりの期間をかけて、やっと相談相手を決めることができた。

 決まったのは良しとして、今度はどうやって打ち明けようかと悩み始める。何かほかの理由をこじつけて姉に会ってから話をきりだそうか。それともストレートに身体の不調を伝えようか、などなど。

 そこまで考えていても、姉に伝えるのは少し怖かった。何でそうなったか聞かれるのが怖かったし、気のせいだといわれるのが怖かった。
 どうしよう。どうやって伝えるのが、一番の方法なのか。
 考えに考え、私はメールで今の状況を簡単に伝えてみることにした。メールなら、とりあえず私の伝えたいことだけを伝えられるし、質問攻めになることもないだろうと思ったからだ。

 私は、この時まで、会社を辞めたことを旦那以外の家族には伝えていなかった。何で辞めたのかを聞かれるのも億劫だったし、余計な心配をかけるのではないかと思ったからだ。なので、姉へのメールは、まずは会社を辞めたことから切り出すことにした。そして心と体の不調について、今まで自分で感じたことを書き込んだ。
 あとは送信ボタンを押すだけ。どうか、変な相談だとか、迷惑だとか思われませんように。そう願いながら、勇気をだして送信ボタンを押した。
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うつ病エッセイ 5.1人で行き詰る日々
 こんな毎日がつづき、朝から晩まで、憂鬱な気分と体の不調に耐えながら毎日をおくる。
 特につらいのは、まったく眠ることができない真夜中だった。ただ布団の中で、モンモンとした時間をすごす。
 なんで、どうして。そんなことばかりを考えて何度も寝返りをうつ。わたしは基本的には布団に入ればすぐに眠れる体質だったので、眠れないという事については相当の辛さと疲れを感じていた。
 そんな毎日が続き、昼間とつぜん感情の抑制がきかずに泣き出したりする。
 私の旦那は、私が突然泣き出したのをみて驚いたのか、どうして泣いているのか尋ねてきたが、何から説明すればいいのかわからない。今の自分の状況を旨く伝えられる自信もなく、何も答えることができなかった。自分自身でもわかっていないのだから、人に伝えられる訳がない。

 その後、何度か自分の状況を話そうとはしてみたが、こんな訳のわからない状態を旦那に理解してもらうのは無理なような気がして、かえって迷惑をかけるのではないかという強迫観念におそわれ、結局なにも伝えることはできない日々が続いた。

 誰か、この状況をすんなり理解してもらえそうな人はいないだろうか。
 外では平静をよそおっていたので、友人たちには相談できない。迷惑をかけるだけで、結論はでないだろう。両親には、やはり旨く伝えられる自信がないし、かえって余計な心配をかけるだけで迷惑かもしれないと思い、相談することは出来なかった。

 誰かいないの? 私を助けてくれる人。どうすればいいのか教えてくれる人。考えれば考えるほど、孤独感が増してくる。誰にも何も話せず、自分の居場所すらないような感情がわきでてきていた。
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うつ病エッセイ 4.やたらと考える日々
 なぜ自分がこんな状況になったのか。理由も原因もわからないのに、なんで、どうして、と考える堂々巡りの日々が続いた。

 退社も間近に迫る頃になると、精神的な不安定に加え、体にも色々な不調がでてきていた。
激しい頭痛に肩こり、手の振るえ。食欲も減退し、食事をとる量も減ってきていた。体も起き上がるのが億劫なほどダルく、背中が痛んだ。夜は2時間ほどしか眠れない日が続いていた。

 もう、いくら考えても自分では何もわからず、どうすることも出来なくなっていた。
誰かに相談してみようとも思ったが、適当な相手が思いつかず、一人で悩む日々が続いた。こんなに毎日が辛いなんて今までなかった事だ。

 ある日、テレビをつけていたが、集中して見るでもなく、目を細めてボーっと眺めていたら、CMが流れ始めた。
「やる気がでない、体がだるい。そんな症状が一ヶ月続いたらうつ病かもしれません。そんなときは、自分だけで悩まないで早めに病院を訪ねてみてください。」という内容のもの。
 それが自分に当てはまるような気がしてドキッとした。
 もしかしてうつ病? そのときの私はうつ病というものをあまり詳しく知らず、精神病のようなものという認識しかなかった。

 病気だったらどうしよう。自分の現状の原因も分からず考えあぐねていた上に、病気かもしれないという思いがかさなり、頭の中に結論の出ないネガティブな考えがグルグルと周りはじめ、不安でいたたまれなくなっていた。理由のない孤独感と所在無さを激しく感じて、ひたすらこの状態に耐えるしかなかった。
 誰か助けて。そんな思いすら出てきて何故か冷や汗と頭痛がひどくなり手が震える。そんな毎日が始まった。
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うつ病エッセイ 3.モノゴトができない
 後任の人も決まらず、今いる社員に引継ぎをしながら退社までの日々をすごしていた。

 仕事がおわると、帰宅途中にスーパーに寄り、夕食の材料を買って家に帰るのが、お決まりのパターン。メニューは決めず、その日、安売りされている食材を見てから献立を決めていた。

 今考えてみると秋頃からだったと思うが、だんだん買い物が億劫になり、買うものが決められなくなっていた。
 献立を考えてみるが考えはまとまらず、空っぽのカゴを持ったまま、スーパーの中をウロウロする。最終的には考え疲れて惣菜を買って帰ることになってしまうのだ。
 数種類の惣菜が入ったビニール袋をぶら下げて帰宅しながら、なんでメニューが決められないんだろう。疲れてるせいかな。なんて考えノロノロ歩く。
 前はそんな事なかったのに。考えれば考えるほど、気分は沈み足取りが重くなる。辛さばかりがこみ上げてきて、この頃は、訳もわからずこみ上げてくる憂鬱で、ほぼ毎日泣きそうになりながら家路についていた。

 ある日、お決まりの憂鬱でメニューを決められなかった私は、再び惣菜を買い込み、やっとの思いで家に帰った。
 袋から惣菜を取り出してお皿にうつす。レンジで惣菜を温めるのだが、中に入れようと振り返った瞬間にレンジの蓋に腕をぶつけて惣菜ののったお皿を床に落としてしまった。
 ショック。今日のおかずはこれしか無いのに。
 何やってるの、私! 床に散らかったおかずを拾い集めながら、また涙が溢れてくる。 こんな事は泣く程のことじゃないと頭ではわかっているのだが、なぜだか感情が抑えられず、涙が出てくる。
 仕事も集中できないし、こんな簡単な作業も失敗して、食事の準備すら出来なくなっている自分に対して、腹立たしさと情けなさが溢れてきた。

 思考能力が衰えてモノゴトがうまく出来ないのは、訳のわからない憂鬱のせいなのだろう。なぜこんなに憂鬱で辛いのか。自分でも何もわからず私は疲れきっていた。

 この頃は、気分転換をしようと思っても、趣味もやる気がでず、テレビも見る気がしない。ただボーっと座っているしかなく、気分は落ち着かなかった。
 仕事や家事ならともかく、好きだった事まで出来なくなるなんて。私の中で何かが狂いはじめているような感じがしていた。
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うつ病エッセイ 2.そして実行
 いざ会社を辞めようと思ったものの、仕事の状況からいってすぐには辞められそうになかった。
 とりあえず上司に相談。結論が出るまで数日待たされたものの、3ヵ月後の締日を最後に退社という事になった。

 あと三ヶ月、辞めるにあたり、することは山のようにあったが、あと3ヶ月の辛抱と思いモチベーションを上げようとした。

 会社としては、私の引継ぎとなる人材の募集をかける。私は通常の作業をこなしながら、自分の身の回りの整頓と担当していた仕事の引継ぎを行うための作業にとりかかった。
 いざやってみると、引継ぎをするにあたって後任に伝えなければならないことが山のように出てきて、自分の9年間の作業実績を改めて感じた。
 普段気にすることはなかったが、自分が9年間で培ってきた仕事のノウハウは相当のものである。
 伊達に9年、パソコンにへばり付いているだけではなかったな。そんな事を思いつつ、後任へ伝えることを書類にまとめた。

 辞めると決まってからも、モチベーションは下降気味で憂鬱な気分は変わらなかった。ため息も増えるし、集中力が持続しない。今まで出来ていた仕事に対する気持ちの整理も出来なくなっていた。
 いったいどうしてしまったのか。自分でも原因はわからず、辛いうつ状態のまま仕事に取り組むしかなかった。
 気持ちが沈む毎日なので、最終日までをカウントダウンしながら日々の作業をなんとかこなし、1ヶ月位たった頃、新入社員が決まった。

 私は新しく入った社員にパソコンの使い方から、作業内容、DTPに関する専門知識を教えなければならなかった。
 実務経験が殆どない新入社員に作業を教えるのは苦難の連続だった。
 相手は自分が何がわからないのかすら分かっていない。こちらも相手が何を知っていて何を知らないのかもわからず、意思の疎通をはかる事すら至難の業だった。
 どうしたものか悩むが、どうにかするしかない。一から教えるしかないのだ。
 多分、お互いに感情を抑え、なるべく冷静に、一言一句をのがさぬように相手の状況を探りながらの作業だったと思う。
 新入社員は緊張の毎日で不眠症になったと言っていた。それでも心を鬼にして、でも相手のペースは探りつつ作業をこなしていく。

 人に物を教えるのは本当に大変な作業だった。毎日うつ気分を顔に出さないようにして作業を教え、帰る頃にはぐったりしてしまう。新入社員が時間内に対応しきれなかった仕事は、残業で自分が引き継いだ。
 仕方のない事だと分かってはいるものの、気持ちはイライラ、体はダルい。
 自分と相手の頭にUSBを差し込んで、全部ダウンロード出来ればいいのに。そんな現実逃避をしながら、一日一日をただ必死に過ごしていた。

 そんな日々が続いて1ヶ月たった頃、新入社員が上司に仕事を辞めると言ってきた。自分にはこんな仕事はやりきれない。毎日眠れず、気力的にも無理だという理由だった。
 この1ヶ月、私が神経をすり減らしアップアップの自分をごまかしながら、精魂つきるまで教えてきた事が泡となって消えたのだ。
 なんだっていうの。どうしろっていうのよ! 私の心中はこの状況へ対しての罵倒でいっぱいになったが、それを口に出すことはなく、でた言葉は「そうですか。」の一言。それ以外何も言うことは思いつかなかった。

 退社まであと一ヶ月。会社は再び人材募集をかけたが、人材が決まったところで引継ぎをしている時間がないことは明白だ。でも今は何を言ってもしょうがない。私は自分の仕事をこなすしかなかった。
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うつ病エッセイ 1.シゴトの決断
 私は22歳に印刷会社に入社してから9年間、毎日ひたすらパソコンの前に座り、DTPという仕事をして来た。
 DTPとは、印刷物の版下をデザインして、パソコンで作成する仕事で、根気と集中力、そして何より根性のいる仕事だ。
 印刷業界では珍しくないが、朝から深夜まで時間と締切に追われて仕事をする。終電というタイムリミットがあるため、夕食も食べずに黙々と作業に打ち込む日も多かった。
 日常では時間が流れ季節が変わって街の様子も変化していく。でも、そんな時間の流れとは無関係。締切が一番の時間の区切れ目となり、ひたすらそれを追いかける毎日だった。
 そんな気力体力ともに厳しい仕事を続けてこられたのは、やはりデザインと版下作成が好きで、社内のメンバーが好きだったからだろう。
 しかし、そんな自分が仕事に興味を持てなくなる日がじわじわと近づいて来ていた。

 私は夏頃から仕事に気が乗らなくなってきていて、イライラすることが多くなってきていた。
 そんなある日、営業が大きい仕事を取ってきた。原稿を見るだけで心がポッキリと折れてしまいそうな複雑かつヘビーな内容。
 どうやって作業を進めていくべきか、原稿を見つめること数分、効率のよいやり方を考え、何とか作業にとりかかった。
 予想通り作業は困難を極め、なかなかはかどらない。数日をかけてこの仕事に取り組んでいたが、胸の辺りにモンモンとした空気がたまって溜め息ばかりでる日が続いた。
 きっとストレスが邪気となって胸にたまってるんだ。そんな事を思いながら深呼吸をしたり、ストレッチをしたりしながら作業を続ける。

 そんな状況は、長い実務経験の中でよくある事だったが、この時期は、なぜか気持ちを上手く切り替えられなかった。ストレスばかり感じて一向に作業に集中できない。こうなると作業云々より自分との闘いになってくる。

 そんな日々を過ごす中、いつもどおり時間だけが刻々と過ぎていき、ある日、夕方になって営業さんが外回りから戻ってきた。
 営業さんは、こちらの状況など気にする様子もなく、テンション高く話しかけてきて、今日入稿した仕事の説明をし始めた。
 こっちはそんな気分じゃないんだよ!って言葉を飲み込みつつ、自分が担当する仕事の説明を聞いていく。くだらない会話もいつもならやんわり受け流すのだが、この日ばかりは言葉一つ一つにイラつき、何かを投げ飛ばしたい気分だった。

 説明が終わり、こみ上げてくるイライラを何とか抑え、明日以降の作業スケジュールを立ててみた。何度見直してみても作業時間が足りない。
 もう一人自分がいればいいのにな。パーマンのコピーロボットどっかで売ってないかな。なんて、すでに現実逃避ぎみになってくる。
 どうしたものかと考えていると、今度はお客様からの電話。作業中の仕事に関する内容をあれこれと聞いてくる。よくよく聞いてみれば明日でもいいような要件ばかり。
 こんな日に限って電話をしてくるなよ。と思いつつ、できるだけ明るい声で対応。なるだけやさしく受話器を置いた。

 夕方は、営業が帰社してくることもあり、毎日雑務におわれる事がおおいのだが、この日も例にもれず雑務が多かった。
 一通りの雑務をこなし、作業に戻ろうと思って改めてパソコンの前に座る。だが溜まってしまったイライラはおさまらず、変な汗ばかり出てきて、気持ちの中で何かが溢れでそうで我慢ができない。
 たまらず私は、更衣室に駆け込こみ座り込んだ。すると、とたんにストレスが涙となってあふれ出てくる。
 こんな事は今までなかったのに、どうして今日に限って涙が出るのだろう。自分でも驚きつつ流れ出る涙と鼻水をティッシュで拭った。
 もうダメだ。続けられない。そんな思いが頭をよぎり、つらい事ばかりが思い出される。モチベーションは最悪だった。とりあえず涙が止まるまで待って更衣室を出て顔を洗う。
 いつもならこんな事は軽く受け流し、うまく対応していたのに。

 この時期はこんな気分ばかりだった。仕事が楽しく感じないしつらい事ばかり。イラつくことも多い。
 昔はこんなじゃなかったって思いながら、なんとか仕事をこなす日々。
 しばらくこんな日が続き、いっこうにモチベーションは上がらず、仕事に集中できる気配もない。下降の一途をたどる一方だった。

 何か新しい仕事をしてみるのもいいかもしれない。
 私はこの日、4年ぶりのタバコを吸って、会社を辞めようと思った。
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